へブル人への手紙10:10-12, 10節のノート, 11節のノート1
「そのみこころによって、イエス・キリストの体が一度限りささげられたことを通して、わたしたちは聖別されたのです。すべての祭司は日ごとに立って仕え、いけにえを何度も同じようにささげますが、それらは決して罪を取り除くことができません。しかし、この方は、罪のために一つのいけにえをささげて、永遠に神の右に座り」。
キリストは罪を取り除き、レビ人の祭司のいけにえではできなかったことを達成されました。一度限りで罪を取り除いたことによって、今や彼は、神聖な命であるご自身をわたしたちの中へ分与し、この神聖な命の働きによって、わたしたちを彼の団体の複製とされます。
旧約の祭司たちは日ごとに立って、いけにえを何度も同じようにささげました。なぜなら、彼らがささげたものは、罪を取り除くことが決してできなかったからです。しかしキリストは、ご自身を罪のために一つのいけにえとしてささげて、罪を取り除かれました。ですから、彼は永遠に神の右に座られました。 彼が天に座しておられることは、罪を取り除くことが成し遂げられたことのしるし、証明です。彼はそこに永遠に座しておられます。ですから、彼はもはや罪のために何もする必要はありません。彼はそれを一度限りで成し遂げられました。彼が罪のために一つのいけにえをささげて、永遠に座しておられるのは、祭司たちが日ごとに立って、いけにえを何度も同じようにささげたのと対照的です。
<抜粋>パンと魚