29日:神の現れが肉体における個人の表現としてのキリストの中にあったことを見るために祈る
神が肉体において現されたのは、御子としてだけではなく、神全体、すなわち父、子、霊としてでした。子なる神だけではなく、神全体が肉体と成りました。このゆえに、肉体と成ったキリストは、肉体において現された神全体でしたの現れは、まず肉体における個人の表現としてのキリストの中にありました。肉体と成ることを通して、神聖な合併(神聖な三一における神が相互に内在し、一として共に働く)が、人性の中へともたらされました。ですからキリストは、三一の神と三部分から成る人との合併です(Ⅰテモテ3:16、コロサイ2:9、ヨハネ14:10-11)。
[2021年5月メモリアルデー特別集会 メッセージ5]
Ⅰテモテ 3:16
そして確かに、偉大なのは敬虔の奥義です.この方は肉体において現され、霊において義とされ、御使いたちに見られ、諸国民の間に宣べ伝えられ、世の人の中で信じられ、栄光のうちに上げられた。
コロサイ 2:9
なぜなら、キリストの中には、神たる方の全豊満が肉体のかたちをもって住んでいるからです.
ヨハネ 14:10
わたしが父の中におり、父がわたしの中におられることを、あなたは信じないのか? わたしがあなたがたに語る言葉は、わたしが自分から語るのではない.わたしの中に住んでいる父が、ご自身のわざを行なっておられるのである。
ヨハネ 14:11
わたしを信じなさい.わたしは父の中におり、父はわたしの中におられる.しかし、もし信じないなら、わざそのものによって信じなさい。