22日:ヨハネによる福音書は、主観的な真理についての書であることを見るために祈る
ヨハネによる福音書は、客観的な教理を全く強調しておらず、むしろ命としてのキリストの主観的な経験を強調しています。あなたはここにあるこれらの節を読むことができます。これらすべての節には「命」という言葉があります。それはヨハネによる福音書第1章、第3章、第10章、第11章、第14章です。そこでキリストは何度も何度も言われていますが、彼の中には命があり、彼を信じる者たちは永遠の命を持ちます。彼が来られたのは、わたしたちが命を得、それを豊かに得るためでした。第11章25節で彼は言われました、「わたしは復活であり、命である」。それから第14章6節で彼はまた言われました、「わたしは道であり、実際であり、命である」これがヨハネによる福音書です(ヨハネ1:4、3:15-16、10:10)。
[2021年5月メモリアルデー特別集会 メッセージ4 手話ノートより]
ヨハネ 1:4
彼の中に命があった.この命は人の光であった。
ヨハネ 3:15
それは、彼の中へと信じる者がすべて、永遠の命を持つためである。
ヨハネ 3:16
神はそのひとり子を賜わったほどに、世の人を愛された.それは、彼の中へと信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を持つためである。
ヨハネ 10:10
盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかならない.わたしが来たのは、羊が命を得、しかも豊かに得るためである。