ヨハネ3:16, 16節のノート1, 2
「神はそのひとり子を賜わったほどに、世の人を愛された。それは、彼の中へと信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を持つためである」。
ここの「世の人」は、原文はこの世と同じ言葉で、罪深い、堕落した、この世を構成する人々のことを言います。彼らには罪があるだけでなく、年を経た蛇である悪魔の毒素もあります。ですから、彼らは蛇となりました。彼らには、蛇の形で、彼らのために死に、彼らの身代わりとして、神によって裁かれるキリストが必要でした(ヨハネ三・十四)。そうでないと、彼らは滅びます(十六節)。人は徹底的に堕落しましたが、神はなおも彼らを、彼ご自身である神聖な愛をもって愛しておられます(Ⅰヨハネ四・八、十六)。なぜなら彼らは、神によって、神ご自身のかたちにしたがって、神を入れる器として造られたからです(創一・二六、ローマ九・二一前半、二三)。さらに、神はそんなにも人を愛して、ご自身の表現である彼のひとり子を彼らに与えられました。それは、彼らが神の永遠の命を得て、彼の多くの子たちとなり、彼の団体の表現となって、神の永遠の新約エコノミーを成就するためです。ですから、神はまず彼の霊によって彼らを再生し(ヨハネ三・三―六)、彼らに神の永遠の命を得させられました(十五―十六、三六節前半)。次に神は、彼らをご自身の無限の霊で満たされます(三四節)。それは彼らが、すべての上にあり、すべてを含むキリストの花嫁(三一―三五節)、すなわち彼の増し加わりと豊満になるためです(二八―三〇節)。
主の中へと信じるとは、彼を信じること(六・三〇)とは異なります。彼を信じるとは、彼が真実であり、実際であると信じることです。しかし彼の中へと信じるとは、彼を受け入れて、彼と一つに結び付けられることです。前者は客観的に事実を認識することであり、後者は主観的に命を受け入れることです。
<抜粋>パンと魚