Ⅰコリント14:26, 26節のノート1
「それでは兄弟たちよ、どうなのですか? あなたがたがいつも集まるときには、それぞれの人に詩があり、教えがあり、啓示があり、異言があり、解釈があります。すべての事を、建造のために行ないなさい」。
わたしたちは召会の集会に来る時、人に分け与える主の何かを持っていなければなりません。それは、主を賛美する詩、キリストの豊富を供給して、人を成就し養う(教える者の)教え、神の奥義であるキリストと、キリストの奥義である召会に関する、神の永遠の目的のビジョンを与える預言の啓示(Ⅰコリント十四・三〇)、未信者がキリストを知って受け入れるための、彼らへのしるしとなる異言(二二節)、キリストと彼のからだに関する異言を理解できるようにする解釈です。わたしたちは集会に来る前、主を経験したことや、主の言葉を享受したことや、祈りの中で主と交わったことなど、主から来た事柄、主についての事柄で、その集会のために自分を準備すべきです。わたしたちは集会に来たなら、霊の感動を待つ必要はなく、待つべきでもなく、自分の霊を活用し、訓練された思いを用いて、機能すべきです。そして準備してきたものを、主の栄光と満足のために主にささげ、参加している者たちの益のために、すなわち、彼らが照らされ、養われ、建造されるために、彼らにささげるのです。
<抜粋>パンと魚