マタイ26:8-11, 8節のノート1, 11節のノート1, 13節のノート2
「弟子たちはそれを見ると、憤慨して言った、『なぜこんな無駄遣いをするのか? これを高く売って、貧しい人たちに施すことができたのに』。しかし、イエスはそれを知って、彼らに言われた、『なぜ、その女を困らせるのか? 彼女はわたしに良いことをしてくれたのだ。貧しい人たちは、いつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはあなたがたといつも一緒にいるわけではないのだから』」。
弟子たちは、主にささげたマリヤの愛を無駄遣いと考えました。過去二十世紀を通じて、幾千幾万の貴重な命、心の宝、高貴な地位、輝かしい前途が、主イエスの上に「無駄遣い」されてきました。そのように主を愛する者たちにとって、主は全く愛らしく、彼らのささげ物にふさわしい方です。彼らが主の上に注いだ物は、無駄遣いではなく、主の甘さの香ばしい証しです。
「貧しい人たちは、いつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはあなたがたといつも一緒にいるわけではないのだから」。これは、わたしたちが主を愛して、彼を愛する機会を捕らえなければならないことを言っています。
福音の物語は、主がわたしたちを愛してくださったということです。そしてマリヤの物語は、彼女が主を愛したということです。わたしたちは、主がわたしたちを愛してくださることと、わたしたちが主を愛することを、宣べ伝えなければなりません。一つは、わたしたちの救いのためであり、もう一つは、わたしたちの献身のためです。
<抜粋>パンと魚