聖書という「箱」の中の「ダイヤモンド」は啓示であり、それは神がキリストの中で人と成ったのは、人が神格においてではなく、命と性質において神となり、キリストのからだを建造して、新エルサレムを究極的に完成するためであるという啓示です。神の永遠のエコノミーとは、人を神格においてではなく、命と性質において彼であるのと同じにし、そして彼ご自身を人と一にし、また人を彼と一にし、こうして彼の表現において拡大され、拡張され、彼の神聖な属性のすべてが、人性の美徳において表現されるということです(Ⅰテモテ1:3-4.エペソ3:9.1:10)。
[2023年9月全国特別集会 メッセージ1]
Ⅰテモ1:3
わたしがマケドニアへ出発する時あなたに勧めたように、あなたはエペソにとどまっていて、ある人たちが異なる事を教えたり、
Ⅰテモ1:4
作り話や果てしのない系図に、心をとめたりすることがないように命じなさい.そのようなものは、信仰の中にある神のエコノミー[経綸]ではなく、むしろ論議を引き起こすだけです。
エペソ3:9
それはまた、万物を創造された神の中に、各時代にわたって隠されてきた奥義のエコノミー[経綸]が何であるかを、すべての人を照らして明らかにするためであり、
エペソ1:10
時代の満了時のエコノミー[経綸]へ至るためです.すなわち、キリストの中で、天にあるもの地にあるもの、すべてのものを、彼の中でかしらにつり上げようとされたのです.