第2編 骨組みと筋肉の両方が必要である(2020/1/21) 

第28課 アンドリュー兄弟の2020年疫病期間のメッセージ集

新しい道の枠組みとしての「生養教建」と「福音・家庭・小組・地区」を持っているだけでは十分ではないので、リー兄弟が米国に戻ったとき、バイタルグループについて語り始めました。バイタルグループは一人から始まり、次に仲間を見つけるものです。バイタルグループを持つことは、体が血液循環と末端神経を持つようなものです。体が健康かどうかはこれにかかっています。しかし今では、新しい道の骨組みさえ持っていない召会もあります。召会の骨組みを積極的に推進し、召会の骨組みを確立した召会であっても、聖徒たちの間の関係がなければ、小組や家庭集会を持っているだけでは、十分ではありません。

1. 骨組みと筋肉が一緒に成長して、キリストのからだの身の丈の度量の豊満へと到達する

これは、骨が成長するのにつれて、筋肉も成長する必要があるということを意味します。しかし、どちらが先でしょうか? 骨が先に成長し、筋肉の成長を牽引するのでしょうか? それとも、筋肉が先に成長し、骨がそれに続くのでしょうか? 二つは一緒に成長する必要があります。言い換えれば、今、わたしたちは小組分けや地区分けは必ず人数の増加をもたらすと言っていますが、それは必ずしも真実ではありません。もし小組と地区を分けても、骨組みばかりが成長し、筋肉が成長しないなら、やはり全体として成長しません。もし筋肉が成長し、骨組みも同時に成長するなら、それは本当の成長です。したがって、エペソ人への手紙第4章では、からだを建て上げるには、供給の節々が必要であるだけでなく、からだのすべての肢体がそれぞれの度量に応じて機能する必要があると言っているのです。次に、キリストの豊満の身の丈の度量にまで到達するのです。
言い換えれば、完全に成長した人の身の丈を持つ人になるには、十分な筋肉、骨、末端神経と毛細血管を持つ必要があります。こうすれば、完全に成長した人の身の丈になります。したがって、身の丈の度量(the measure of the statue)というのは、からだに度量があり、この度量は骨だけではありません。骨だけでは身の丈の度量を強化できませんが、骨と筋肉があれば強化できます。

全体が機能しなければ、バイタルグループや四大建設を行なっても、身の丈も度量も持てない

小組と地区を増やせば、召会の新人を吸収する度量が増えるのかと尋ねる人がいます。理論的には可能ですが、1対1の顧みがなければ、度量はやはり増えません。身の丈があって初めて度量を持ちます。身の丈を持つためには、ブレイクダウンして、全員が機能する必要があります。バイタルグループと四大建設は、まさにそのための一連の実行です。全体が機能しなければ、バイタルグループと四大建設を実行しても、身の丈を持つことができません。身の丈がなければ度量もありません。骨だけでは身の丈はありません。例えば、高さ7〜8フィートのロボットを作ります。それは歩くことができますが、身の丈がなく、ごつごつしたフレームしかありません。人の全身には、微小細胞、微小血管、微小神経が含まれています。

2. 小組分けと地区分けは召会をよりに柔軟にし、より多くの関節を持たせる

それでパウロは、愛の中で建て上げなさいと言いました。もちろん、福音・家庭・小組・地区は愛に満ちていると言えますが、それでも一人一人の顧みは大きく異なります。からだは愛の中でそれ自身を建て上げるためには、一人一人に対する愛が必要です。例えば、手は骨一本しかなくても物を持つことはできますが、柔軟性は非常に低くなります。ただし、複数の関節があり、複数の骨で繋がっているなら、より柔軟になります。したがって、小組分けと地区分けは、召会をより柔軟にします。小組分けと地区分けがないのは、足や手が骨一本しか持たないようです。例えば、人の関節は何箇所もあって、曲げられるので、柔軟に動けます。つまり、骨を細分化する必要があります。しかし、骨を細分化しても筋肉がない場合、それは単なるロボットです。ロボットは非常に柔軟に作られることができますが、ロボットには筋肉、豊満と度量はありません。

3. 全員が骨になったら、筋肉は成長しない

別の例を挙げます。病院のベッドに2週間横になっていると、もう歩くことができません。骨は壊れているからですか? いいえ、筋肉が減って弱くなったのです。福音・家庭・小組・地区の骨組みを作ることは正しいことです。しかし、あなたは上から、つまり最初に長老から、そして長老から地区責任者へ、そして地区責任者から小組責任者へ、働くたびに長老たちや地区責任者や小組責任者を対象にやっています。このように続けても、対象は骨幹だけです。同労者はみな骨幹メンバーに対して働き、骨幹メンバーに語り、枠組みだけを語ります。リー兄弟が語った福音・家庭・小組・地区を語ります。あなたが話し終えた後、骨はまだ骨であり、筋肉はそれで成長しません。

4. 筋肉にバイタリティを与え、末端を成長させる

筋肉だけでなく、顕微鏡でしか見ることができない毛細血管や末端神経があります。これらは大きな血管ではなく毛細血管の中で成長します。木と同じです。木の幹は成長せず、木の根が成長します。さらに言えば、根ではなく、根毛が成長しているのです。

5. 次世代は中青年在職であり、わたしたちが最も弱いのは親の世代である

申命記はモーセが死ぬ前に次世代に心を込めて教え諭した言葉です。その時、次世代は何歳でしたか? モーセが第11章で言った通りです、「今日、知りなさい.わたしが語るのは、あなたがたの子たちにではない.彼らはエホバ・あなたがたの神の訓練、彼の偉大さ、彼の大能の手、彼の伸ばした腕を知らず、見なかった.……しかし、あなたがたの目は、 エホバが行なわれた彼の偉大なみわざをすべて見た」(2-7)。荒野での旅の初めに、神はカデシュで言われました、「あなたがたは必ず死体となってこの荒野に倒れる.……二十歳以上で数えた数にしたがって、 わたしに向かってつぶやいた者はだれも、あなたがたを住み着かせるとわたしが誓った地に入ることはない.……あなたがたの子供たちは、この荒野で四十年さまよい、」(民数記14:29-33前半)。
言い換えれば、20歳以上の世代は荒野で死に、40年間荒野を漂流してきた0歳から20歳までのすべての人々は40歳から60歳までの人たちになりました。つまり現在の中壮年の在職世代がモーセの語る対象でした。しかし、わたしたちが第二世代について話すと、いつも子供、中高生、大専生についてだと思いがちですが、実際、申命記は彼らのためではなく、両親のためのものでした。そして今、わたしたちの最も弱いのは親の世代です。

親の世代を助けるには、彼らの内から模範が必要を作り出す必要がある

この親の世代をどのように助けたらいいのでしょうか? 彼らの内から模範を作り出すのです。模範が最も重要なことです。ペテロの第一の手紙第2章21節が言っている通りです、「あなたがたが召されたのはこのためです.なぜなら、キリストもあなたがたのために苦しみを受け、あなたがたが彼の足跡に従うようにと、原型を残されたからです.」。また、 第5章2節から3節が言っている通りです、「あなたがたの間の神の群れを牧養しなさい.……割り当てられた人たちの上に、権力を振るうのではなく、むしろ群れの模範となりなさい」。

在職の聖徒たちには生活の模範が必要

今、在職の人たちは、神人の生活を送る必要があります。人生とはなんでしょうか? それは、衣・食・住・交通です。例えば、服を着ることにおいて、彼らは模範を示していますか? 全時間訓練を卒業したある卒業生たちは、結婚集会に来る時の服装は、この世の人と同じです。また、食事についても、この世の人と同じように食べていて、制限されていない人がいます。また、住居は一つの大きな負担です。彼らはどうしても家を買わなければならない、買うなら大きくて美しい家を買わなければならないと思っているので、それらは彼らを完全に押しつぶして死なせます。今日、わたしたちは質素に生きる一つか二つの模範が必要です。それは以前エルデンホール(Elden Hall)で集会していた時のようです。誰も家を購入せず、集会所の近くに家を借りていました。また、大きな車、良い車を運転しなければない人がいます。ですから、彼らは、彼らがシンプルに生きることができるような、神人の生活の模範、在職の模範にとても欠けているのです。しかし、模範がないため、これは非常に困難です。召会の責任者の人たちでさえ、職業や財産や保険など多くのものを持っています。これらなしでは生きていけないと言います。しかし、これらを持っていると本当に重荷になります。したがって、彼らにも模範がありません。年長の人たちを見てください。彼らはすでに在職時代を終えたので、彼らの家は大きく、車は二、三台持っています。彼らもあまり多くの模範を持っていません!

中国語の聖徒と英語の聖徒の両方に模範が必要である

これは中国語の聖徒だけでなく英語の聖徒にも当てはまります。問題は、どちらも良い模範を持っていないということです。外側の事柄ばかりですかと、あなたは聞くかもしれません。いいえ、内側のもありますが、表現されるとそれは模範となります。ある人がこう言うとします、「わたしは内側のことにしか注意を払っていません。これらのことを気にかけません。わたしは大きな家を購入しても、その大きな家を気にかけません」。そうは言っても、毎月ローンを払うだけで押し潰されます。それもまた一種の模範です。

6. 主体は召会生活であり、何かの生活の枠組みではない

リー兄弟がエルデンホール(Elden Hall)にいたとき、彼は真の模範でした。なぜなら、わたしたちの印象では、リー兄弟の務めはメッセージを解き放し、訓練を導くことでしたが、実際、彼は在職の働きも行なっていて、しかも非常に力強く行なっていました。彼は家庭ごとに働きました。一家庭一家庭ずつがそこに引っ越して家を借りました。つまり、主体は召会生活であるということです。生活の枠組みを作って、その中に人を詰め込んで、ある者を長老にし、ある者を地区責任者にして、集会の中で開始と締めの言葉を語らせるというようなことではありませんでした。

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