8日: 二本の木と生活の二つの原則を見るように祈る

とりなしの祈り

創世記第2章9節の二本の木(命の木と善悪知識の木)は、生活の二つの原則を表します。二本の木が見せているのは、クリスチャンが二つの異なる原則(正しいか間違っているかの原則、あるいは命の原則)にしたがって生活することがあり得るということです。クリスチャンであることは、正しいか間違っているかの原則(善悪の原則)の事柄ではなく、命の事柄です。わたしたちは主イエスを受け入れて新しい命を獲得したとき、生活のもう一つの原則(命の原則)を得ました。もしわたしたちがこの原則を知らないなら、命の原則をわきに置き、正しいか間違っているかの原則に従うでしょう。クリスチャンであることは、あることが正しいか間違っているかを問うという事柄ではなく、わたしたちが何かを行なうときはいつも、内側の命を調べるという事柄です(Ⅰコリント8:1.Ⅰヨハネ5:11-13, 20.ローマ8:6)。

[2022年5月メモリアルデー特別集会 メッセージ2 アウトラインより]

 

Ⅰコリント8:1

さて、偶像に供えられた物については、みな知識を持っていることを、わたしたちは知っています。知識は人を思い上がらせますが、愛は人を建造します。

 

Ⅰヨハネ5:11

これが証しです.すなわち、神がわたしたちに永遠の命を与えられ、そしてこの命が彼の御子の中にあるということです。

 

Ⅰヨハネ5:12

御子を持つ者は命を持っています.神の御子を持たない者は命を持っていません。

 

ローマ8:6

肉に付けた思いは死ですが、霊に付けた思いは命と平安です。

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