26日:「神はあること」を信じるように祈る

dailyprayer04 とりなしの祈り

信仰が意味するのは、「神はある」ことと、わたしたちはないことを、わたしたちが信じることです。信仰がなくては、神に喜ばれ、神を幸いにすることはできません。「神はある」ことを信じることは、彼がわたしたちにとってすべてであること、またわたしたちが無であることを信じることです。「神はある」ことを信じることは、わたしたちがないことを暗示します。彼はあらゆる事で唯一の方、独特な方でなければならず、わたしたちはあらゆる事で無でなければなりません。「神はある」ことを信じることは、わたしたちの自己を否むことです。全宇宙で彼はあり、わたしたちはみな無です(ルカ9:23、ヘブル11:5-6、1-2)。

[2022年4月国際長老責任者訓練 メッセージ2 アウトラインより]

 

ルカ9:23

そしてイエスは彼らすべてに言われた、「だれでもわたしについて来たいなら、自分を否み、日ごとに自分の十字架を負い、わたしに従って来なさい。

 

ヘブル11:5

信仰によって、エノクは死を見ないように移されました.神が彼を移してしまわれたので、彼は見えなくなりました。なぜなら、彼が移される前に、彼は神に喜ばれていたという証しを得たからです。

 

ヘブル11:6

信仰がなくては、神に喜ばれることはできません.というのは、神に進み出る者は、「神はある」ことを信じ、彼を熱心に尋ね求める者たちに報いてくださる方であることを、信じるはずだからです。

 

ヘブル11:1

さて信仰とは、望んでいる事柄を実体化することであり、見ていない事柄を確認することです。

 

ヘブル11:2

昔の人たちは、このことにおいて良い証しを得ました。

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