11日: 経験における神を享受するよう祈る(3)

「今年、わたしは神に感謝します。神はわたしに男の子を出産させてくれました。ああ、わたしは子供が欲しいと思っていましたが、子供を産むことができませんでした」。「今年男の子がわたしに生まれたこと」が、神がわたしに与えてくださった恵みであるのです。「今年、神はわたしにこの昇進を与え、わたしに昇給でより良い仕事、より良い地位を与えてくれました。ああ、今年は数えることがたくさんあります。神はわたしのためにたくさんのすばらしいことをしてくださり、わたしにたくさんの良いことを与えてくださいました」。

「ああ、わたしはこのパンデミックでコロナウイルスに感染しましたが、神に感謝します。彼はわたしを救ってくれました。感染しましたが、咳しかなかったので、元気でした」。あなたは神の恵みがあなたのためにどれほどのことをしてくださったかを感じます。ああ、兄弟姉妹、これらはすべてわたしたちの観念です(ヘブル10:29、Ⅰコリント15:10、45後半、啓22:21)。

[2022年2月国際華語特別集会 メッセージ1 ノートより]

 

ヘブル10:29

まして神の御子を踏みにじり、自分を聖別した契約の血を俗なものと考え、恵みの霊を侮った者は、どれほどの重い刑罰に値すると思いますか?

 

Ⅰコリント15:10

しかし、神の恵みによって、今のわたしがあるのです.そしてわたしに対する神の恵みは、無駄にはなりませんでした.それどころか、わたしは彼らのだれよりも多く労苦してきました.しかし、それはわたしではなく、わたしと共にある神の恵みです。

 

Ⅰコリント15:45

そこで、「最初の人、アダムは、生きた魂と成った」と書かれていますが、最後のアダムは、命を与える霊と成ったのです。

 

啓22:21

主イエスの恵みが、すべての聖徒たちと共にあるように。アーメン。

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