啓示録22:1, 1節のノート2, 5
「また御使いは、水晶のように輝く命の水の川をわたしに見せた。それは神と小羊の御座から、大通りの中央を流れていた」。
「命の水」は、神がキリストにあって霊と成って、ご自身を彼の贖われた民の中に流れ込ませ、彼らの命また命の供給となられることの象徴です。それは、裂かれた岩から流れ出た水で予表され(出十七・六、民二〇・十一)、主イエスの刺されたわき腹から流れ出た水で象徴されます(ヨハネ十九・三四)。ここで、この命の水は一つの川となり、神と小羊の御座から流れ出て、新エルサレム全体を供給し、浸透します。ですから、この都は神聖な命で満たされ、神の命の栄光の中で、神を表現するのです。
聖なる都の大通りは純金です(啓二一・二一)。金は神聖な性質を象徴します。「大通りの中央を」流れている命の水の川は、神聖な命が、神の贖われた民の日常生活のための唯一の道として、神聖な性質の中を流れることを象徴します。神聖な命が流れる所には、神聖な性質があります。彼の民は神聖な性質によって聖なる道を歩くのです。そして神聖な性質の聖なる道のある所には、神聖な命が流れています。聖なる道には、いつも神聖な命と神聖な性質が伴っています。ですから、神の命の水の川は神聖な道に沿ってあずかることができ、わたしたちはこの命の道を歩くことによって、川を享受することができます。
<抜粋>パンと魚