1日: 主の上で勤勉に労するように祈る

とりなしの祈り

もはやマナは、天から下って来ません。絶えず労し、収穫するか、または、全く何もないかのどちらかです。朝に時間を持ち、聖書のいくつかの節や務めの箇所を祈ったり、読んだりすることで十分であると思っているかもしれませんが、それは、農夫が畑に行く前に、朝早く起きて、健康な朝食をとるようなものです。一日を始めるために主と御言葉に時間を費やすことは、一つのことです。それは、どこか健康的な朝食をとるようなものです。しかし、一日中についてはどうでしょうか? 労することは「生活」の事柄です。その答えの本質は、とても簡潔です。すべてを含むキリストの上で労するとは、あらゆる状況において、わたしたちの霊を活用して、彼と接触し、彼と一となり、彼からの分与を受けるということです(申12:6-7、11)。

[2021年10月国際長老責任者訓練 メッセージ6 アウトラインとノートより]

 

申12:6

そして、あなたがたの全焼のささげ物と犠牲と十分の一とあなたがたの手の挙げるささげ物と誓願と自発のささげ物とあなたがたの牛の群れの初子と羊の群れの初子を、そこに持って行かなければならない.

 

申12:7

その所で、エホバ・あなたがたの神の御前で食べ、あなたがたと家族は、エホバ・あなたの神が祝福されたあなたの手のすべてのわざを、喜び楽しまなければならない。

 

申12:11

エホバ・あなたがたの神が御名を住まわせるために選ばれた場所へ、わたしがあなたがたに命じているすべてのものを、持って行かなければならない.それは、あなたがたの全焼のささげ物と犠牲、あなたがたの十分の一と手の挙げるささげ物、あなたがたがエホバに誓願する、すべてのえりすぐりの誓願である。

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