マタイ5:17-18, 17節のノート2
「わたしが律法や預言者を廃止するために来たと思ってはならない。廃止するためではなく、成就するために来たのである。まことに、わたしはあなたがたに言う。天地が過ぎ去るまで、律法の一点一画も決して過ぎ去ることはなく、ついにはすべてが実現するのである」。
ここで、キリストが律法を「成就する」とは次のことを意味します。(一)積極面で、キリストが律法を守られた。(二)消極面で、十字架上の身代わりの死を通して律法の要求を満たされた。(三)マタイによる福音書第五章十七節から四八節で、キリストは彼の新しい律法によって古い律法を補足しておられる。これは、「しかし、わたしはあなたがたに言う」という言葉で繰り返し現されています(二二、二八、三二、三四、三九、四四節)。キリストが律法を守られたことは、彼が十字架上で身代わりとして死なれたことを通して、律法の要求を成就する資格を彼に与えました。キリストが彼の十字架上で身代わりとして死なれたことを通して律法の要求を満たされたことは、律法を補足し、律法を完全に成就するための復活の命をもたらしました。古い律法、すなわち低い律法は、人が守るべき要求や罰せられるべき条件と共に、すべて終わらせられました。王国の民は、御父の子たちとして、今や新しい律法、すなわち高い律法を、復活の命、すなわち御父の永遠の命によって満たす必要があるだけです。古い律法はモーセを通して与えられましたが、新しい律法はキリストご自身によって発布されました。
<抜粋>パンと魚