11月2日 日ごとのパン

dailyfood01 日ごとのパン

ヨハネ1:51, 51節のノート2, 3

「そして彼は言われた、『まことに、まことに、わたしはあなたがたに言う。天が開け、神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを、あなたがたは見るであろう』」。

この節はヤコブの夢の成就です(創二八・十一―二二)。人性を伴う人の子としてのキリストは、神の家、すなわちベテルのために、地に立てられたはしごであって、天へ導き、天を地に対して開き続け、地を天に結合します。ヤコブは油を石の上に注ぎました。それは、石が神の家となるためでした。油は聖霊、すなわち、人に届く三一の神の究極的表現の象徴です。石は造り変えられた人の象徴です。ヨハネによる福音書第一章には、その霊と石があります。石は、人性の中のキリストをもって神の家を建造するための建造の材料です。これがある所には、開かれた天があります。
ヨハネによる福音書の序言である第一章は、キリストを神の子(三四、四九節)と人の子の両方として紹介しています。ナタナエルは彼を神の子と認識し、彼をそのように呼びかけました(四九節)。ところがキリストはナタナエルに、ご自身が人の子であると言われました。神の子は神であって、彼には神の性質があります。人の子は人であって、彼は人の性質を持っておられます。彼が神のひとり子であるのは、神を明らかに示すためであり(十八節)、神を人にもたらすためです。彼が人の子であるのは、地上で、人々の間に神の住まいを建造するためです。神の建造は、彼の人性を必要とします。過去の永遠に、キリストはただ神であり、神の御子であり、神性しか持っておられませんでした。しかし未来の永遠に、キリストは神と人として、また神の子と人の子として、永遠に神性と人性の両方を持っておられます。

<抜粋>パンと魚

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