ピリピ2:1-2, 2節のノート1, 3, 5
「こういうわけで、もしキリストにあっていくらかでも励まし、もしいくらかでも愛の慰め、もしいくらかでも霊の交わり、もしいくらかでも情け深さと同情があるなら、どうかあなたがたは同じ事を思い、同じ愛を持ち、魂において結合され、一つの事を思って、わたしの喜びが満ちるようにしてください」。
使徒はピリピ人に、彼らの励ましや慰めを求めて訴えました。彼は、もし彼らが彼に対して、キリストにあっていくらかでも励まし、いくらかでも愛の慰め、いくらかでも霊の交わり、いくらかでも情け深さと同情があるなら、彼の喜びが満ちるようにしてくださいと懇願しました。ピリピ人の間には、彼らの思うことに相違があって(ピリピ四・二)、これが使徒を悩ましていました。ですから、使徒は彼らが同じ事を思い、さらに同じ一つの事を思って、自分の喜びが満ちるようにしてくれるようにと求めました。
ピリピ人の間にあった思いの相違は、彼らが魂の中で結合されておらず、彼らの思いの中、すなわち魂の主要部分の中で、一つの事を思っていなかったことに基づいていました。ピリピ人の問題は、彼らの霊にではなく、彼らの魂に、すなわち、思いにありました。彼らは再生を通して、彼らの霊の中にキリストを持っていましたが、造り変えを通して、彼らの魂の中にキリストを持っていませんでした。キリストが彼らの魂全体に浸透し、占有されることによってのみ、彼らは魂の中で一つとなることができるのです。
<抜粋>パンと魚